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陽射しが人を殺すのか。カミュ「異邦人」

  • 丸橋
  • 2024年1月21日
  • 読了時間: 2分



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カミュの「異邦人」を読んだ。言わずと知れた名作として有名ではあるが、いまだに読んだことがなかったのだが。ちょうどよくカバンに入れやすい文庫を実家で探しているときに目に留まり、ゆったりとしたペースでバスや電車に乗るとき、隙間時間に読み進めていった。

 

カミュの「異邦人」は主人公であるムルソーの母が死んだシーンから始まる。母の死、というのは、人によって想起する感情は様々であろうが。何にしても大きく感情を揺さぶられるようなことになる現象ではないだろうか。だがムルソーは涙を一つも流さず、これといって無関心であり、またその翌日にタイピストのマリィという女性と親密な関係を築いていく。

 

なんやかんやとありムルソーは人を撃ち殺した咎で裁判にかけられ、前述の冷たいと感じられるような行動を咎められ、死刑を宣告される。

 

と、個人的にはかなり理不尽な話だと思う。ムルソーが母親を亡くした後の感情のなさ。というのは確かに少し冷徹であるかも知れない、しかし糾弾されるほどのことでもないだろう。そしてそれは大きく糾弾されていき、それが契機に(人は殺しているのだが)死刑にまでなってしまう。私はムルソーのその無関心さ、そしてただ今ある事象を見つめて生きていく感じには、どちらかといえば好感を覚えた。

 

ただまぁムルソーの、そのような処遇も面白くはあるが、何より良いなと思ったのはムルソーが殺人の動機を聞かれて「太陽が眩しかったから」と答えるシーンだ。それは様々な解釈が可能なのだろうが、そのセリフのかっこよさ。そしてそれがめちゃくちゃ糾弾されるシーンが面白い。

 

だが実際、太陽が眩しくて人を殺したくなってしまうことはあるのではないだろうか?ムルソーは基本ずっとコミュニケーションが微妙に取れていないので、このセリフが決定的にはなるのだが、実際気候、気温が人に与える影響というのは大きいのではないだろうか。眩しい太陽と海辺の中で過ごした人間と、鬱蒼とした森で過ごす人間はまた違う感性を持つだろうし、そこには気候天気が人に影響を与えているといえるだろう。

 

シンプルに太陽光を浴びなければ鬱々とした気分になっていく、親にカーテンぐらいは開けたらどうだ。と言われた経験もそこに結びついていく。実際、太陽が眩しくて人を殺すのだろうか?というのはあるし、ムルソーのこのセリフは印象的だがそうとるのが主題ではないのかもしれない。ただ暑すぎるあまりイライラすることを思えば、太陽が眩しくて人を殺すこともあるのかもしれない。


(文/丸橋)

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